奉 公 (吟声:先代 小林心風)
家が貧しかったので 高等科えの進学も諦めて 私は奉公に出された
思えば50年前の 13の春。
めくら縞の筒袖の袷に 幅のせまい 各帯を絞め
荷物は小さい 柳行李ひとつ
父に連れられ故郷 横浜を発って東京へ向かう
今はない 赤煉瓦の 横浜駅
三つになった妹を背負って 改札口の処で見送る母
「身体に気をつけて ね-!」と言う 優しい瞳が濡れていた。
「人は正直でなけねばいけない-。」と汽車の中で訓戒された
父の言葉は今も忘れない
ああ 遥かなる夢 明治 40年の花の春。
上野に開かれた 万国勧業博覧会
父と共に見物し 昼めしは 会場の料亭
笹の雪の豆腐料理に 舌づつみをうった
会場で「水を飲みたい-。」 と言うと 水道のある処までつれてゆき
両手を合わせて掬ってくれた 父が慈愛の 甘露の水。
楽しかったその日の夕暮れ。
再びくぐった奉公先の質屋の門を
父は私のことを くれぐれと主人に依頼して
いとまをつげて帰って行った
後に残された私は 瓦斯の絹マントル ほの青い光の下にかしこまって
次第に遠ざかってゆく 父の日和下駄の 歯音を聞いた。
懐かし 少年の日の思い出。
故 小林心風
吟道館 創始者 先代 館長
コロムビアレコ−ド吟友会